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仙台高等裁判所秋田支部 平成8年(ネ)37号 判決 1998年3月09日

控訴人

内田ミエ

外三名

右訴訟代理人弁護士

虻川高範

沼田敏明

菊地修

被控訴人

財団法人秋田県成人病医療センター

右代表者理事

熊谷正之

右訴訟代理人弁護士

内藤徹

主文

一  原判決を以下のとおり変更する。

二  被控訴人は、控訴人内田ミエに対し六〇万円、控訴人内田健夫、控訴人木元有美子及び控訴人内藤徹に対しそれぞれ二〇万円及び右各金員に対する平成三年一〇月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを一五分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人らの負担とする。

五  この判決の第二項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人内田ミエに対し一〇〇〇万円、控訴人内田健夫、控訴人木元有美子及び控訴人内藤徹に対しそれぞれ三〇〇万円及び右各金員に対する平成三年一〇月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

事案の概要は、当審における当事者双方の主張に鑑み、以下のとおり付加訂正するほかは、原判決「第二 事案の概要」(原判決二枚目表五行目冒頭から八枚目表五行目末尾)に記載のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴人の主張

1  患者本人(亡内田義隆)に対する説明義務違反について

患者と医師との関係は、患者の自己決定権やインフォームド・コンセント等の理論及び実態の推移に伴い、大きく変わってきている。とりわけ、病名告知をはじめとする患者への説明については、医師の全面的な裁量に委ねられているわけではなく、医師は、合理的根拠がない限り、右説明義務を免れることはできず、右合理的根拠の有無を判断するに当たっては、病名告知による患者への不利益の有無及びその程度について個別具体的に検討されなければならない。原判決は、癌告知による患者の不利益が著しいことを前提とした判断を行っているが、癌告知が患者に利益をもたらす例も多数報告されているのであるから、原判決はこの点で前提を誤っている。

本件において、被控訴人の運営する秋田県成人病医療センター(被控訴人病院)の医師三浦一樹(三浦医師)が亡内田義隆(亡義隆)に対して癌告知をはじめとする病名・症状の説明を尽くしていないことは明らかであるところ、亡義隆は癌ではないかとの疑問を三浦医師に問い質していたというのであるから、亡義隆に癌であることを説明することに支障があったとは認められないし、そもそも三浦医師は、亡義隆に癌告知をすることによって同人にどのような利益・不利益があるかということを何ら判断しないままに、漫然と説明を怠ったにすぎないのであり、三浦医師に説明義務違反があったことは明らかである。

2  患者の家族(控訴人ら)への説明義務違反について

患者本人への癌告知が困難な場合であっても、医師には、患者の家族等に癌告知を行うべき法的義務があることは明らかである。前記のとおり患者本人への癌告知の是非は、告知による患者への不利益の有無及びその程度について個別具体的に検討がなされたうえで判断されるべきであるところ、家族への告知は、患者本人への告知と比較すれば、本人に与える重大な精神的影響を心配する必要がない上、周囲の家族の支えをより強めるものとして、患者本人の利益になることが多いと解される。しかも、患者が、検査や治療を拒否している場合などは、家族を通して右検査等の意味を説得してもらうことも可能であり、この意味でも患者の利益となる。

本件において、仮に、三浦医師に、亡義隆本人への告知義務がなかったとしても、少なくとも、控訴人らに対して癌告知を困難とする事情はないから、告知すべき義務があったというべきである。現に、三浦医師自身が、その必要性を認めてカルテに記載しているし、秋田大学附属病院では、直ちに控訴人ら家族に対して亡義隆の病状が説明されているのであって、以上によれば、三浦医師に説明義務違反があったことは明らかである。

3  亡義隆及び控訴人らの損害について

亡義隆は、三浦医師から病名を告知されないことにより、数か月間、適切な治療及び生活を決定できる状況を奪われた。この間、亡義隆は、胸部の痛みを訴えながら、その原因を適切に説明してくれなかった被控訴人病院の措置に不満を漏らしており、自分の症状が改善しない状態に焦燥の念を深めていたのである。

また、控訴人らも、この間、亡義隆に対して、それぞれ肉親として接する貴重な日々を送れたはずなのに、その機会を失ったばかりか、たとえ病状回復にその効果がなかったとしても、亡義隆に対し精一杯の看護と治療を与える機会を失ったのであり、それが控訴人らに大きな悔悟と精神的衝撃を与えたことはいうまでもない。

右亡義隆及び控訴人らが受けた精神的損害は、被控訴人病院に長年通院し、同病院の医師を信頼していた亡義隆及び控訴人らの信頼が裏切られたことに由来するのであり、それが、亡義隆ないし控訴人らへの説明義務違反に由来する以上、その精神的損害は、慰謝料として、被控訴人の賠償責任を発生させるに足るものである。

二  被控訴人の主張

延命及び治癒が望めない末期癌の患者及びその家族に対して、癌告知をすべきか否かについては、医師の広範な裁量に委ねられており、癌告知しなかったからといって直ちに債務不履行や不法行為となるわけではない。

本件は、一般的に医師が癌告知すべきであるとされている事案に当てはまらないことが明らかであり、癌告知をしなかった被控訴人病院の医師の行為が債務不履行にも不法行為にも当たらないことは明らかである。

第三  判断

一  証拠(甲七、乙一、三、四、六の一、二、鑑定、原審証人三浦一樹、原審被控訴人木元有美子本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件の経緯について、以下の事実が認められる。

1  亡義隆は、昭和六〇年一一月から被控訴人病院循環器外来に、一、二週間に一度の割合で通院し、虚血性心疾患、期外収縮、脳動脈硬化症等の治療を受けていた。

2  被控訴人病院は、平成元年四月一九日、亡義隆の胸部X線の撮影を行ったが、同X線写真には特に病的な所見は認められなかった。

3  被控訴人病院は、平成二年二月一六日、亡義隆に体重の減少が認められたことから、消化器系について腫瘍マーカーなどによる検査を行ったが、顕著な異常所見は認められなかった。

4  亡義隆は、同年六月八日、被控訴人病院を受診した際、一か月前から左乳頭部付近に痛みが出現した旨訴えたが、他覚的所見は認められなかった。

5  被控訴人病院は、同年一〇月二六日、亡義隆に対する心臓病の治療効果を確認するために、同人の胸部X線の撮影をしたところ、同X線写真には、コイン様陰影が認められた。このため、心臓病の担当医は、同年一一月九日、当時、秋田大学医学部第二内科(循環器系、呼吸器系)講師で、土曜日に被控訴人病院の外来の診察を担当していた三浦医師に右X線写真の解読等を依頼した。三浦医師は、亡義隆のX線写真、CT写真から、右肺野に小結節、左下肺野にそれよりも小さな結節が数個認められ、横隔膜角が鈍化し、胸水の貯留(腫瘍性の滲出液が溜まるものと理解されている状態)が考えられたことから、原発巣が別臓器にあるか、肺内転移であるかは不明であるが、多発性転移巣あるいは転移性の病変と診断した。

6  三浦医師は、同年一一月一七日、初めて亡義隆を診察し、腫瘍マーカーに関する検査結果等から、その疾病について、偏平上皮癌あるいは重複癌ではないかと推測し、確定診断のためには気管支鏡検査をしてみる必要はあるものの、いずれにしろ転移性、多発性の腫瘍があることは間違いなく、治癒的な手術は不可能であって化学療法もあまり有用とは考えられないため、右検査を実施したとしても原発巣の確定には役立つが治療そのものにとっては意味はないと判断するとともに、亡義隆の余命についても長くて一年程度ではないかと予測した。

7  三浦医師は、同年一二月八日、亡義隆を診察し、胸部X線の撮影をしたが、腫瘍の大きさには変化はなかった。

8  三浦医師は、同月二九日、亡義隆を診察したが、その際、亡義隆は、前胸部に痛みがあると訴え、三浦医師は、亡義隆の前脛骨部に浮腫があるのを認めた。三浦医師は、同日のカルテに末期癌であろうと記載し、内服鎮痛剤スルガムを投薬した。

9  三浦医師は、平成三年一月一九日、亡義隆を診察したが、前回診察時と変化のない状態であり、内服鎮痛剤スルガムを投薬した。三浦医師は、右診察の際に、亡義隆から、肺の病気はどうかとの質問を受け、本人に末期癌であることを告知するのは適当ではないと考え、前からある胸部の病気が進行している旨を答えた。三浦医師は、右診察の段階で、亡義隆の病状について家族に説明する必要があると考えたが、その後被控訴人病院における診療の担当ができなくなりそうであったことから、カルテに「転移病変につき患者の家族に何等かの説明が必要」という趣旨の記載をした。結果として、右同日の診察が、三浦医師が亡義隆を診た最後となった。

なお、三浦医師は、前記平成二年一一月一七日の亡義隆に対する初診から右同日までの最終診までの間に、少なくとも一度は、亡義隆に対して、入院して内視鏡検査を受けるように勧めたことがあったが、亡義隆は病身の妻と二人暮らしであるから入院は出来ないとこれを拒否したことがあった。また、亡義隆は、右の間、終始一人で通院してきており、三浦医師は、少なくとも一度は、亡義隆に対して、診察に家族を同伴するように勧めたことはあったが、その家族関係の詳細を尋ねることはしなかった。

10  亡義隆は、同年二月九日、被控訴人病院を受診した。亡義隆の前胸部の痛みは治まっており、担当医は、内服鎮痛剤スルガムを投薬した。

11  亡義隆は、同年三月二日、被控訴人病院を受診し、胸の痛みを訴えたので、担当医は、鎮痛湿布薬ゼラップを処方した。

12  亡義隆は、右同日を最後に被控訴人病院を受診することなく死亡したため、結果として、三浦医師を含む被控訴人病院の医師からは、亡義隆に対しても、その家族である控訴人らに対しても、亡義隆が末期癌あるいは末期的疾患である旨の説明はなされなかった。

13  亡義隆は、平成二年中から、控訴人内田ミエ(控訴人ミエ)、控訴人内田健夫(控訴人健夫)、控訴人木元有美子(控訴人有美子)らに対して胸の痛みを訴えており、右控訴人らから見て、被控訴人病院に通院しても胸の痛みが治癒しないことや、被控訴人病院において胸の痛みの原因が判明しないことを不審に思っている様子ではあったが、ときには控訴人らに対して、散歩時の運動が原因なのかも知れないと述べるなどしており、控訴人らは、亡義隆が訴える胸の痛みが癌によるものであるなどとは思いもしないで生活を送っていた。

14  亡義隆は、前記のとおり被控訴人病院に通院したものの、胸の痛みが治まるどころか酷くなってきたことから、控訴人ミエが付き添って、平成三年三月五日、秋田大学医学部附属病院整形外科を受診し、さらに同科の紹介により、同月一二日、同病院内科を受診した結果、同科の医師にも亡義隆が末期癌であることが判明し、前記のとおり、右医師から控訴人ミエらに右病名が告知されるに至った。

15  その後、控訴人らは、被控訴人病院の担当医と面会するなどした結果、被控訴人病院においては、既に平成二年一一月ころまでには、亡義隆が末期癌であることをほぼ把握していたことを知るに至り、なぜ右事実を直ちに家族である控訴人らに知らせてくれなかったのかを強く不満に思うと同時に、これが知らされていれば、亡義隆との残り少ない時間をより充実して過ごすことが出来たのにとの思いを抱くに至っている。

二  争点1及び2について

争点1及び2についての判断は、原判決一一枚目表一行目から一四枚目表一行目までの記載のとおりであるから、これを引用する。

三  争点3について

1  前記のとおり亡義隆は、平成二年一一月当時、既に進行性末期癌に罹患しており、これに対しては有効な治療方法がない状態であったから、亡義隆ないしは控訴人らに対して、末期癌であることの説明がなされなかったからといって、亡義隆の救命ないしは延命に関し治療上の不利益は生じていないと認められるところ、控訴人らは、たとえ治療上の選択の余地などがない場合であっても、真実の病名を知ることによって、あらかじめ死を予期して余命を充実して送ることが可能であるから、被控訴人病院の医師には、亡義隆及びその家族である控訴人らに対して、真実の病状を説明すべき義務があったと主張するので、検討する。

2  前記認定したところによれば、三浦医師は、平成二年一一月九日には、亡義隆のX線写真、CT写真等から、亡義隆が末期癌であることについて強い疑いを持ち、同月一七日の診察の時点では、ほぼこれを確信していたことが認められる。

ところで、少なくとも平成二年当時の医療水準に照らせば、医師が末期癌の患者及びその家族に対して、癌告知をすべきかどうか、誰にいつどのように告知すべきか、ということについては、それまでの診療経過、病気の現状、必要な検査・治療及びこれに対する患者の対応、患者の年齢・性格・精神状態、家族環境、病名を知らせることが治療に及ぼす影響、知らされた後の患者の心理面を支える態勢等の諸事情を考慮した上での当該患者を担当する医師の合理的裁量に委ねられているものというべきであるが、これは、右に述べた諸事情を検討したうえでの専門家である医師がなした告知・不告知という判断を基本的に尊重すべきであるとするものであるから、医師が、積極的に右諸事情について情報収集をしなかったり、収集した情報を真剣に検討しないままに、漫然と癌告知しないという判断に至ることを許容するものではなく、それゆえ、医師としては、右癌告知の適否、告知時期、告知方法等を選択するために、右に述べた患者に関する諸事情に注意を払い、できる限り右患者に関する諸事情についての情報を得るよう努力する医療契約上の義務があるというべきである。

以上によれば、医師が右合理的裁量を逸脱して患者本人に癌告知をしなかった場合には、右説明義務違反は患者本人に対する債務不履行ないしは不法行為となりうるし、患者本人への不告知が相当であるとされる場合には、医師には、当然に患者の家族への告知の適否を検討すべき義務があるから、医師が合理的裁量を逸脱して患者の家族に癌告知をしなかった場合にも、右説明義務違反は患者本人に対する債務不履行ないしは不法行為となりうる。さらに、医師が、前記患者に関する諸事情についての情報収集を怠り、あるいは右収集した情報の検討を怠り、その結果、癌を告知しなかった場合には、そもそも、癌告知の適否を検討しなかったものとして、それ自体が患者本人に対する債務不履行ないしは不法行為となりうるものというべきである。

3  これを本件についてみるに、三浦医師は、平成二年一一月一七日の時点では、亡義隆が末期癌であることにほぼ確信を抱いていた(前記のとおり確定診断のためには気管支内視鏡検査が必要ではあるものの、右検査を実施したとしても原発巣の確定には役立つとしても治療そのものにとっては意味がないと考えていた)のであるから、この時点においては、三浦医師には、末期癌の患者を担当する医師として、亡義隆及びその家族に癌告知をすべきか否か、告知するとした場合に誰にいつどのように告知すべきか、を判断するための諸事情についてできるだけ情報を収集し、できる限り速やかに決断を下す医療契約上の義務があったといえる。

4  そこでまず、亡義隆本人に対し癌告知しなかったことが亡義隆に対する債務不履行ないしは不法行為となるか否かについて検討するに、三浦医師による初診の当時、亡義隆の病状が末期癌であることはほぼ間違いのない状況であったこと、亡義隆は七七歳と高齢であったうえ、亡義隆は終始一人で通院してきており、三浦医師に対して病弱な妻と二人暮らしであると述べていたこと、三浦医師が亡義隆を診察したのは、わずか二か月間に四回だけであって、医師と患者との間に強い信頼関係ができるには不十分な期間であったといわざるを得ないこと、などの前記認定の本件の諸事情に、亡義隆が、それまでの長期間にわたる被控訴人病院への通院治療中において、特に医師に対して癌告知を希望する旨を表明していたことを窺わせるに足りる証拠はなく、もちろん、三浦医師及びこれを引き継いだ医師に対してもそのような希望を表明したことを認めるに足りる証拠はないこと、などの事情を総合考慮するならば、三浦医師及びこれを引き継いだ被控訴人病院の医師が、その治療期間中に亡義隆本人に対して癌告知をしなかったことは、医師としての裁量の範囲内の行為であると評価することができるのであって、これをもって医療契約上の義務違反があったとまでいうことはできず、債務不履行にも、不法行為にも当たらないものというべきである。

5  次いで、亡義隆の家族である控訴人らに対して癌告知をしなかったことが亡義隆に対する債務不履行ないしは不法行為となるか否かについて検討する。

(一)  前記認定のとおり三浦医師が亡義隆に対して癌告知しなかったことは医師としての合理的裁量の範囲内にあるが、医師としては、このように患者本人に告知すべきでないと判断した場合には、患者の家族に対する告知の適否について速やかに検討すべき義務があり、そのためには、患者の家族に関する情報を収集し、必要であれば患者の家族と直接接触するなどして、その適否を判断する義務があると解される。

三浦医師は、原審において、最終的に亡義隆を診察した段階で妻への告知が必要と判断し、同日中に、自宅に電話したが不在であって通じなかった旨述べているが、これを裏付けるに足りる客観的証拠はなく、その信用性の判断は慎重にならざるを得ない。仮に、これが事実であるとしても、結局、一回だけ電話を試みたが通じなかったとして、その後は妻への連絡を断念して全く試みていないことは、三浦医師自身が認めるところであり、そうすると、三浦医師が亡義隆の妻にかけた電話は、通じれば幸だが通じなくても構わないという程度のものであったと理解するほかなく、右によれば、三浦医師が、果たして妻への癌告知を真剣に検討していたのか否かを強く疑わざるを得ないものである。さらに、三浦医師は、前記のとおりカルテに「亡義隆の家族に説明が必要である」旨を記載はしたものの、これを直接後任の医師に引き継ぐことをしていないのであり、右事実も、三浦医師が、果たして妻を含めた家族への癌告知を真剣に検討していたのかを疑わしめる事情である。

他方、本件においては、亡義隆には、妻である控訴人ミエのほかに三人の子(その余の控訴人ら)があったのであるから、三浦医師において、亡義隆から家族関係の詳細を事情聴取することができていれば、控訴人のうちいずれか適当な者を選択して癌告知の適否を検討することができたはずである。この点について、三浦医師は、原審において、亡義隆が病弱な妻と二人暮らしであることのほかにも子供たちについても多少は聞いていたという趣旨のことを述べるが、それらの情報は全くカルテ等に記載されておらず、三浦医師自身も具体的に述べることができない程度のものであり、以上によれば、三浦医師は、亡義隆が病弱な妻と二人暮らしのために入院が必要な検査は受けられないという状況にあることまでは把握していたものの、それ以上に、亡義隆の家族関係の詳細についての情報を収集する努力を怠ったものといわざるを得ない。加えて、亡義隆の被控訴人病院への通院歴はかなり長期にわたっていることに照らせば、亡義隆の家族関係についての情報収集源は、亡義隆本人に止まらず、過去のカルテや被控訴人病院におけるかつて担当医への問い合わせなどによることも十分に可能であったと推測されるのに、三浦医師がこのような手段を講じて情報収集に努めたことを窺わせる証拠は全くないのである(このような手段を講じた結果、必要な情報が得られたか否かはひとまず置く。)。

以上述べた事情によれば、三浦医師が、亡義隆の家族に対する癌告知を真剣に検討していたのか疑問といわざるを得ない。

(二) さらに、三浦医師は、原審において、平成二年一一月一七日に初めて亡義隆を診察した当初から、診察の度毎に亡義隆に対して、入院して内視鏡検査を受けるよう勧めるとともに、外来でも検査はできるがその場合は家族を同行するように述べ、いずれにしろ次回の診察には家族を同行するように指示していた旨述べている。しかしながら、右の点についてはカルテ等に一切記載されておらず、同人の供述以外には、右事実を窺わせるに足りる客観的証拠はないこと、結果として、亡義隆は内視鏡検査を受けておらず、治療に家族を同行したこともないこと、などに照らせば、せいぜい前記認定のとおり右治療期間中に、少なくとも一度は、亡義隆に対して、内視鏡検査を勧め、家族を同行するよう指示していたことは推認されるものの、それ以上に、診察の度毎に、内視鏡検査の必要性を説明し、家族の同伴を勧めていたとまでは認めるに足りないといわざるを得ない。三浦医師の供述によれば、亡義隆は、妻の病弱を理由に、入院や妻の同行を拒んでいたというのであるから、そうだとすれば、医師としては、その他の家族関係を詳しく尋ねて同行できるような親族がいないかどうかを探る努力をすべきであると解されるが、本件全証拠によるも、三浦医師がそのような努力をしたことを窺わせるに足りる証拠はない(三浦医師自身も、原審において「どうして他の家族が来られないかについてはあまり深く聞かなかった。勤めて忙しいからというようないいかたをしたように思う。あまり記憶がない。」などと述べる程度である。)。

また、三浦医師は、亡義隆は入院ができないことを理由に内視鏡検査を拒否したというが、検査がどうしても必要であることを納得させるために具体的な工夫をしたことを窺わせるに足りる証拠はない。この点について、三浦医師は、原審において、亡義隆から、「癌ですか」との質問があったので、「癌かどうかを調べるために検査する必要がある」旨回答したが、それでも亡義隆は検査に応じなかった旨述べているが、右供述を裏付ける客観的証拠はないうえに、亡義隆が真実三浦医師に対して、「癌ですか」と尋ねたとすれば、亡義隆は、自己の疾病が癌ではないかとの疑いを抱いていたことが推認されるから、そのような亡義隆において、医師から「癌かどうかを調べるために検査する必要がある」旨言われながら、あくまでも検査を拒否するということはやや不自然であるというべきであり、供述自体の信用性にも疑問がある。

(三)  以上検討したところを総合すれば、三浦医師は、亡義隆の家族に癌告知をすべきか否かを判断するにあたって必要とされる家族についての情報を収集することや、家族と連絡を取る努力を怠っていたものといわざるを得ず、したがって、そもそも家族への癌告知を真剣に検討していたのかどうかすら疑問となるのであり、結局、三浦医師は、患者の家族に関する情報収集や家族との接触の努力を怠り、その結果漫然と癌告知をしなかったに過ぎないといわざるを得ないから、患者の家族(本件控訴人ら)に対する癌告知の適否を検討する義務を尽くしていなかったものというべきである。

なお、癌告知が医師の合理的裁量に委ねられるのは、前記のとおり、患者自身についての諸事情、家族を含めた患者の周囲の諸事情等について、医師として専門的総合的な判断が何よりも尊重されるべきであるからであり、その前提として、医師には、右判断に必要な情報収集をし、収集した情報を誠実に検討すべき義務があるのであり、右義務については、医師の裁量の余地は少ないというべきである。

(四) 証拠(甲七、原審控訴人木元有美子本人)及び弁論の全趣旨によれば、亡義隆には三人の成人した子が存在し、そのうち、長女である控訴人有美子は、亡義隆の自宅の近所に居住し、日常頻繁な交際があったこと、長男である控訴人健夫も秋田市内に居住していたこと、実際、後日亡義隆が受診した秋田大学医学部付属病院においては、診察後直ちに家族に対する癌告知の適応ありとの判断がなされて、控訴人健夫及び控訴人ミエに対し癌告知がなされていること、以上の事実が認められるうえに、右癌告知の結果として、家族間に格別の混乱があったことを窺わせる証拠は全くないのであるから、以上によれば、三浦医師が前記義務を尽くして家族関係についての情報収集にあたり、その結果、控訴人らと連絡を取るなどして、何らかの形で控訴人らのうちの誰かと接触を持っていれば、家族に対する癌告知が適当であるとの判断に達することも十分にあり得たものというべきであり、その場合には、より早い段階で控訴人らに対して亡義隆の癌告知がなされ、控訴人らにおいても、亡義隆に対して、より納得のいく医療を施したり、より多くの時間を亡義隆と過ごすことなどにより、亡義隆との残り少ない人生を充実させることを期待し得たというべきである。

そうすると、亡義隆は、三浦医師の前記義務違反により、より早い段階で自己が癌であるという事実を家族である控訴人らに知ってもらうことができ、より早い段階で、家族である控訴人らから手厚いケアを受けたり、控訴人らとより多くの時間を過ごすことなどにより、より充実した日々をより多く送ることができた可能性を奪われたものというべきであるから、三浦医師の行為は、右亡義隆の期待権を侵害したものとして、亡義隆に対する債務不履行及び不法行為を構成するものであり、三浦医師は、亡義隆と被控訴人間の診療契約における被控訴人の履行補助者であると同時に被控訴人の被用者であるから、被控訴人は、右期待権侵害によって亡義隆が被った精神的損害を賠償すべきこととなる。

前記のとおり、亡義隆は長年にわたり被控訴人病院に通院しており、亡義隆とその家族は、被控訴人病院の医師を信頼していたものと推測されるところ、三浦医師の前記義務違反は、右長年にわたる信頼を裏切る行為であったこと、控訴人らは、亡義隆死亡の半年以上前である平成三年三月一九日には秋田大学医学部附属病院の医師により亡義隆の癌告知を受けており、三浦医師の債務不履行及び不法行為によって、亡義隆が前記可能性を奪われた期間は、最大限見積もっても数か月程度であることなどの本件の一切の事情を考慮すれば、慰謝料の額は、一二〇万円とするのが相当である(なお、右慰謝料額の算定に際しては、亡義隆の家族である控訴人らの苦痛も含めて評価しているから、右のほかに、控訴人ら固有の慰謝料請求権を認めることはできない。)。

控訴人らは、亡義隆の死亡により亡義隆の被控訴人に対する右一二〇万円の損害賠償請求権を法定相続分に応じて相続したから、妻である控訴人内田ミエは六〇万円、その余の控訴人らは各自二〇万円の請求権を有することとなる。

第四  以上によれば、控訴人らの本訴請求は、被控訴人に対し、控訴人ミエが六〇万円、その余の控訴人ら各自が二〇万円及びこれらに対する平成三年一〇月四日から支払済みまで年五分の割合により遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、控訴人らの請求をいずれも棄却した原判決は、右と異なる限度で相当でないから、その限度で原判決を変更し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官守屋克彦 裁判官丸地明子 裁判官大久保正道)

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